箱根湯本駅から車でほんの数分の塔ノ沢温泉に『福住楼』はある。温泉街から700mしか離れていないのに、まるで別世界に来たような気がする。喧騒を逃れてひっそりと過ごすには最高の宿だ。
この隠れ家的な雰囲気に魅せられて、明治23年(1890年)の創業以来、多くの文人墨客たちが訪れている。福沢諭吉、夏日漱石、島崎藤村、川端康成、吉川英治、林芙美子などちょっと例を挙げただけでも錚々たるメンバーだ。
そして中でも一番印象的なのが、日本画家である寺崎広業のエピソード。それは『福住楼』がまだ今より300mほど山手にあった頃の出来事だ。
「明治43年(1910年)8月に関東一円を襲った大洪水で全館が流出してしまった時、ほとんどの資料は紛失してしまったのに、なぜか寺崎先生の描かれた絵一枚だけが奇跡的に見つかったんです。それもまったく滲みも汚れもない完璧な状態で。その話を申し上げたら、感動された先生が、元の絵にさらに筆を加えられて……」と、支配人の大貫さん。その絵は今でも大広間に飾られている。
「でもあまりにきれいな状態なので、疑うお客様もおられます」
|